honda スーパーカブ

HONDA(ホンダ)

 

言わずと知れた世界の名車 ホンダのスーパーカブ。

下の画像は50cc(原付)の2018年モデルです。

 

 

2018年型 スーパーカブ50

 

 

スポンサーリンク



 

 

2018 スーパーカブ50/スーパーカブ110 主要諸元

 

引用元:ホンダ

 

 

さて、スーパーカブはいつから世の中に存在しているのでしょうか?

世界各国で長きにわたり愛されてきたスーパーカブの歴史を振り返って見ましょう。

 

 

スーパーカブの歴史

 

カブの最初の発売は1958年(昭和33年)SUPER CUB C100(セル付きは C102)という50ccのモデルで、最高出力 4.5馬力 最高速度 70km/h 燃費は90km/L。

このころは空冷OHV 自動遠心クラッチ(特許)の3速でした。

この年の12月23日には東京タワーが完成していて、チキンラーメンやuni鉛筆の発売、更には日本ではじめてのバレンタイン・チョコレートという出来事があった年でもあります。

 

 

1959年(昭和34年)、8人でアメリカへと渡ったホンダ・アメリカ・モータースの社員は、305cc、250cc、125cc、50cc(C100)と4車種を輸出したものの、販売は苦戦しました。

当時のアメリカではハーレーダビットソンに代表される1000ccほどの大型アメリカンや、ヨーロッパから輸入していた650ccほどのトライアンフなど大型のバイクが人気で、ホンダの中型車達は人気を得ることができなかったようです。

ただ、その中で唯一人気を得ていたのが、50ccと最も排気量のちいさいC100だったというのです。

アメリカにはスーパーカブのように玩具として扱えるようなバイクは存在していなかったので、大型バイクとの棲み分けができたのでしょう。

実際にレジャーに行くときのピックアップ・トラックの荷台にスーパーカブを載せて遊びに行き、現地で小回りの利く移動手段として重宝されていたようです。

 

 

そんなホンダは1962年(昭和37年)、大型バイクが人気のアメリカ市場に対して、50ccのバイクで勝負にでます。

HONDA CA100という二人乗りが出来て、ウィンカーのついていないアメリカ専用モデルを投入し、1963年には大々的なキャンペーンをうって社会現象を引き起こすまでになりました。

このころの日本といえば、1964年に東京オリンピックが開催されています。

そして一大ブームとなった50ccのスーパーカブは90cc(通称ハンターカブ)へと切り替えられており、ブームが去る1980年代にはハンターカブをCT110(110cc)にパワーアップし、レジャー以外に農園などで使われるような存在へと変化させ、アメリカに定着させていきました。

 

 

また、ヨーロッパでは全くことなる競合相手に苦戦します。

足こぎペダルがついた自転車のようないでたちで、2ストロ-クエンジンを搭載したいわゆるモペットと呼ばれる二輪車です。

モペットがヨーロッパでは市民の足として定着していたのです。

このことがきっかけでホンダは現地でモペット造りを行い、リトルホンダP25を誕生させました。

 

 

そして、今のスーパーカブ天国である東南アジアにホンダが進出したのは、1964年のことでした。

アメリカ~ヨーロッパと渡り、底力をつけたホンダは満を持しての東南アジア進出となり、タイに設立したアジア・ホンダはアフターサービスの充実などを徹底。

その後は東南アジアの各国ごとに対策を施して販路を拡大し、マレーシア、フィリピン、シンガポール、インドネシアなどの政治経済情勢が安定した国々へと進出をはたしたのです。

 

 

1966年には現在のエンジンの原型ともいえる、OHC化されたエンジンを搭載したC50が登場しました。

それと同時にデザイン面でも変化をみせ、従来の面影は残しつつ現行モデルに近いデザインへと変わっていったのです。

この年はビートルズが来日したり、落語番組の笑点の放送が開始された年でもあります。

 

 

 

アジアに根付いた理由

 

東南アジアの中でもベトナム=カブというイメージが強いと思いますが、実は長くフランスの植民地だったことからモペットが普及していたのです。

では、なぜカブがベトナムに?それは、戦争でベトナムに協力し駐留していたアメリカ兵の影響で、現地に送り込まれたといわれているようです。

ただ、2ストロークのモペットに慣れ親しんだ地域だったことから、4ストロークのカブに2ストローク用のオイルが混ざったガソリンを入れたりして、現地ではトラブルが多発していたそうです。

これに対し、ホンダの社員は戦争中の土地だったにもかかわらず、トラブルに対処してホンダ品質を守りました。

やがて戦争が終わり、アメリカ軍が撤退したときに何十万台といわれる大量のスーパーカブが現地に残され、ベトナム市民の手に渡ったことで現在のスーパーカブ天国が出来上がったといわれます。

スーパーカブって、すごい歴史をたどってきたバイクなんですね。

 

 

スポンサーリンク



 

 

近年のスーパーカブ

 

最近では世界で1億台達成という快挙を成し遂げました。

ノーマルの姿も完成されていて大好きなのですが、いろいろなカスタムを施された車両を見かけることも多いですよね。

 

 

バーハンドル化やレッグシールドレスが施されたカブ

 

1990年代ごろの型は同じホンダのモンキー系のエンジンということもあって、カスタム用のアフターパーツも非常に多く出回っていました。

また、改造を自分の手で行うことが簡単で、交換した部品の効果もハッキリと体感できることから、多くのファンを魅了し続けています。

このエンジンからボアアップやキャブレターのセッティングなどを覚えた方も多いのではないでしょうか?

今のモデルはインジェクションになって少し雰囲気も変わったかと思いますが、見た目重視のカスタムもよし、走り重視のカスタムもよし。

とにかく敷居の低いスーパーマシンであることに変わりはないと思います。

 

ご存知のとおり、維持費の面からみても、停車~加速などを繰り返すモード燃費で50cc=69.4km/L(1名乗車時)、110cc=67km/L(1名乗車時)と、驚異的な経済性を持っています。

 

2018年現在の現行型は、フロントフォークがテレスコピックタイプいって、普通のバイクと同じようなものに代わってますが、古いカブではブレーキをかけても前のめりになりにくい面白いつくりになっていました。

世界各国で、さまざまなスタイルのカブが販売され愛され続けているのも、その性能の高さ、整備性の良さ、耐久性の高さ、価格、パーツ供給量の多さなどを考えれば納得できます。

耐久性の高さはビジネスシーンでも大活躍していて、警察や郵便局の方々が昼間にカブで走っているのを見かけない日が無いほどですよね。

古い型の郵便配達用のカブは郵政カブとよばれて、マニアから人気のある車両です。

 

 

茶色いシートがお洒落な郵政カブ MD90

この郵政カブですが、2010年ごろまでは「赤い色のまま乗ってはいけない」といわれていましたが、今はどうなんでしょう?

また、どうやったら手に入れられるのか?よく知られていないあたりも、マニアに好かれる理由でしょうか?

最新のカブという点では、2018年の東京モーターショーで展示されていたスーパーカブの125ccも非常に魅力的でした。

 

 

2018年に発売が決定!

 

1億台達成記念のカブも展示されていて、金色に輝いていました。

 

こちらは 110cc ホンダ得意の記念モデル

 

1億台記念のレースイベントでは、派手なカラーに身をまとった、まさにスーパーなカブもお披露目されていたようです。

 

レプソルカラー 大型バイクのレース用モデルとそろえたカラーリング

 

なんとも魅力的なスーパーカブ達。自転車のような気軽さと経済性で、これからも世界中の街を走り続けてほしいと思います。

 

TOP PAGE へ戻る ←

 



 

タイトルとURLをコピーしました